(tumblrblr)

Jan 28
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たんぶらを見ていると、男の人が女の人を好きな程には女の人は男の人を好きじゃないかもという気がします。

Twitter / oharico

おい、母さん、ちょっとこれ額に入れといて

(via kml)

ちょっとこれ1000万回リブログ

(via gohnoh)

(via d-d-d, yellowblog)

(via mellowpx)

(via yksk) (via sixfeetunder) (via precall) (via 908908) (via appbank)
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アニメ興味ある友達にまどまぎを説明する時「アンパンマン見てたと思ったら突然食パンマンがガチで死んで、次にカレーパンマンも死んで、アンパンマン自身も「俺に何が救えるんだろう……」とか真剣に悩んじゃう感じのアニメ」って言ったら的を射ていると褒められた。
Jan 27
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「コミュニケーション能力」は「足りない人」だけがいて「十分な人」はどこにもいない。ようは「誰かに無能のラベルを貼って言うことを聞かせるための道具」なんだよね。
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これはもう本当に何度言っても言い足りないくらいなんだけど、落ち込んだりしちゃってる時はまずは体調的な原因を疑うのがいい。腹減ってるとか飲み過ぎと
か。原因がわかったら、チョコでも食べながら好きな音楽聴いたりクスッと笑える何かを観たりして嵐が過ぎ去るのを安全な場所で待っていればいい。

@fta7’s (F太) most faved tweets (via raitu)
2011-02-13 (via gkojax-text

)

うんうん。

(via psty)

これ本当だよ。気分はいがいと肝臓とか胃の調子によったりする。

(via akirakuroda)

(via kotoripiyopiyo)

Jan 26
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男女のペアが一緒に重い荷物と軽い荷物を運ばなければならなくなったとしてさ


♂「おれ、重いほう運ぶよ、君より力あるし」(気遣い)
♀「ありがとう、じゃ、あとでお茶入れるね」(気遣い)



♂「おれ、重いほう運ぶよ、君より力あるし」(気遣い)
♀「あたりまえでしょ? あんた男なんだし」


あたりまえだけど愛されるわけねーよ。男女平等とか謳ってるけど、全然違うよな。女は世の中の常識とかなんとか言ってきたりするけど。男としては納得できないし、する理由もない。

男と女以前にさ、人と人との関係だってこと忘れてんじゃねーの?

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そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。

一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。

H-Yamaguchi.net: コピペの「作法」

現実に求められる能力は既にこっちになりつつある

(via y-u)

(Source: otsune, via appbank)

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「現実をうけとめろ」という言葉は受け止められる程度の現実を保有する人間にしか意味がない。真正面から受け止めたら死にたくなるような現実しか持ってない奴にそんなことさせてどうすんだよバカ。受け止めた結果自殺したら「自己責任」、引きこもりは「甘え」。素敵な世の中\(´・_・`)/
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あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

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こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。

これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。

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なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。

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そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。

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結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。